2009年9月5日土曜日

09/08号 「夕陽に染まる海」から


 この夏も、帰省して故郷の海を見ました。私の故郷は秋田の港町で、かつては北前船で栄えていました。現在は、木材、飼料、様々な国のコンテナを運ぶ船、またフェリーが発着する港になっています。港内は昔に比べて拡張され、津波を避けるために防波堤は数キロ先の海上にまで伸びています。海の彼方には男鹿半島の山々が青くそびえています。
この海の夕焼けは絶景です。この度も、夕陽を眺めていました。夕陽はオレンジ色に染まる時もあり、紅に染まる時もあります。太陽が水平線に近づくに従い、山々も、町も、空も雲も、海も、すべてが染まってゆきます。特に海を眺めていると幾万、幾億の波もそれぞれが夕陽に染まってそれぞれがキラキラと輝き生きているようです。
 この光景を眺めていたとき、ふと「真理はあるのだ」という思いが脳裏に浮かびました。なぜだか分かりませんが、「真理」の言葉が浮かんだのです。「真理」などと論じることから、遠く隔たった時代の風潮ですが、すべて万物を紅に染め、やがて去っていく夕焼けは、「真理」という言葉に相応しい感動を与えます。
私が故郷を離れたのは二十歳前の時でした。「真理」を探求するというとてつもない野望を心に秘めてのことでした。しかし間もなく挫折しました。社会に失望し、自分に失望し、人間そのものに失望しました。人間は所詮、限りある存在で、「真理」には及ばないのです。
 ちょうどその頃、大学で「科学と聖書」という講演を聴きました。「人間は有限であり、聖書の神は永遠/無限の神である。人間の能力では神に到達できない。」という内容でした。これは私の野望を完全に打ち砕きました。その夜は悶々とした時を過ごしました。ふと手元にある聖書を手にしたときに、イエスの言葉を目にしました。彼の言葉は、力があり、包容力があり、愛に満ちていました。私は彼の内に「真理」また「永遠」ということを覚えて、信じました。信じたときに、確かにすべてを紅に染める「真理」に相応しい感動と深い「平安」を覚えました。イエスもまた、万物を愛に染めて生涯を全うされた方でした。
 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネ福音書3:16