2009年2月27日金曜日

生きよ。そして自分の言葉を持て!

1年ほど前のNHK時代劇「慶次郎縁側日記」においてでした。最後のところで、慶次郎が生きる希望を失っている女に対して、「自分の言葉を持て、そして生きろ」と強く語りかける場面が印象に残ったことがあります。原作者の北原亞以子さんの人生観がこの場面に生かされたのだと思います。この場面で、生きることと自分の言葉を持つことと全く関係がないように感じる人があったかもしれません。しかし、人間は、言葉の存在である以上、その人が、どのような言葉を心の中に持つかによって、人生が大きく変わると思うのです。
 このような例は、幾つかあります。聖路加病院の日野原先生の人生の転機についてお話を読んだことがあります。いまから35年ほどまえのよど号事件の時でした。たまたま先生は、その飛行機に乗り合わせていました。そこで、ハイジャック犯の腹痛の治療をし、また表面はひょうひょうとしていたようです。しかし、内心において危機を体験したと言うことです。もしかしたら、このまま死ぬかもしれないという思いが脳裏を過ぎったのです。その時に、2つの言葉が心に浮かんだと言うことでした。1つは「恐れることはない」という主イエスの言葉です。それは福音書の物語の中、湖の嵐に恐れる弟子たちに対して語られたイエスの言葉です。その言葉が、心に浮かぶと同時に、日野原先生の心の動揺も静まっていったと言うことです。もう1つは、「1粒の麦地に落ちて死ななければ一つのままです、しかし、死ねば多くの実をならせる」ということばです。このことばを自分に適応して、この時に、生き残るなら、残りの人生を人のために尽くし、まさしく1粒の麦になろうと決意したと言うことです。その言葉と決意が、先生の後の人生を決定していると言うことでした。
 キリスト教はまさしく言葉の宗教ですが、私たちも、言葉によって生かされているということを実感しています。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からです一つ一つの言葉による」とありますが、現代人にかけているのは、もちろんパンではありません。この心にあって人を生かす言葉ではないかと思うのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿