2009年2月27日金曜日

ものにもつかず・・

「原中や/ものにもつかず/啼雲雀(なくひばり)」。これは芭蕉44歳時の句です。意味は、中空高く舞い上ってさえずるひばり、ただ青い春の空だけがどこまでも続く。何ものにも束縛されないひばりの自由な姿と孤独さを描いています。数年前の冬に散策していた時、ふと、北本市石戸宿で芭蕉の句碑を見つけました。そこにこの句が刻まれていたのです。句碑によると1851年に川越と石戸の愛好家たちが建立したものだそうです。それにしても、この地域にマッチした俳句だと思い、好きになりました。昔は広い原野があったのだと思います。そこで雲雀が、どもまでも高く高く飛んでさえずり、ついには姿が見えなくなってもさえずりだけが響き渡る情景を想像することができます。まことにのどかです。しかし、私が強く引かれる点は、のどかさではなく、芭蕉の内面の自由と厳しさです。世の束縛から自由となってこそ、人の心に響く俳句が成立するのだ、という意味を含んでいるようです。
 私は、牧師として、桶川に赴任してから、すでに14年が過ぎています。私の仕事は、福音(聖書)の説教ですが、これもまた「ものにもつかず」という姿勢によって、成り立つ働きです。私の場合には、「もの」とは何かを考えたとき、色々思い当たります。それら「もの」「者」「物」に執着していたならば、どう頑張っても語ることばは、人の心には響かないのです。
主イエスもまた、自分や世に対する執着から離れることが大切であることを教えておられる箇所があります。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16:24)。私たちには、大変厳しいことばとして響きます。しかし「ものにもつかず」「自分を捨て」という姿勢は、厳しいようでいて、実は私たちを困難から救う姿勢です。その姿勢を持つときに、私たちは、かえって束縛から解放されて自由を得、私たちが直面する困難を乗り越えることが出来るのです。

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