2009年2月27日金曜日

「私たちのために」誕生された方

世界で初めのクリスマスはベツレヘムの家畜小屋で行われました。布にくるまわれ飼い葉桶で幼子イエスが、スヤスヤと寝ており、その寝顔を父ヨセフと母マリヤ、それから後から来た羊飼いたちが見守っていたのです。あたりは殺風景でしたが、そこに漂う雰囲気は天国のように明るいものでした。それは空に輝く明星のためではなく、ただそこにいた人々の信仰の所以でした。その信仰とは、ただ幼子イエスが「自分たちのために誕生した」ことを、そのまま受け止めたと言うことでした。
「きようダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」ルカ2:11
彼らの信仰を生んだ要因は、天使たちがまばゆいほどの輝き、預言があったとも言えます。しかし何よりも、彼らが貧しいがゆえに、かえって、世の欲、常識にとらわれなかったことです。世の欲や富みに執着する者には、天の光も御告げも耳にも心にも届かないというのが、聖書が示す真実だからです。
現代においても、神は聖書のことばを通して、私たちに「キリストの誕生」を伝えているのです。もちろん、私たちの小屋や納屋でのことではなく、それは私たち一人一人の心の中で起こる出来事としてです。私たちの心も殺風景なのですが、福音に記されている天使の御告げが「私たちのため」であるとして受け止めるときに、キリストは、私たちの心に住まわれるのです。そして、私たちの殺風景な心は豊かになり、私たちの生活にも明るい光が灯されるのです。
私がキリストを信じたのは、青年の頃でしたが、その時、世の中と自分という存在に絶望していました。藁にもすがる思いで聖書を手に取ったときに、そこにキリストの言葉が記されていました。私は、最後の救いの手段として彼とそのことばを信じたのです。その時に、殺風景な心に灯火がともり、平安と希望の光が満ちたという経験をしました。その光は、今なお、私の心にとどまり続けています。天使はキリストの誕生について「あなたがたのために」と語りましたが、確かに、キリストは「私たちのために・・・お生まれになった」のです。

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