2009年2月27日金曜日

主の十字架は輝けり・・・森祐理さん証から

NHK教育TV「ゆかいなコンサート」歌のお姉さんを努めていた森祐理さんという方がおられます。この方は、小4の時、母親が自宅で経営していた英会話教室にやって来たアメリカ人宣教師に出会い、家族で一緒に教会に通い始め、 高校生の時に洗礼を受けたということです。
しかし、信仰を持っているからといって、人生がすべて順調で、涙などないと言うことはありませんでした。森さんは、今から一三年前にあった阪神大震災で、弟さんを亡くされました。当時、弟さんは神戸大4年生で、卒業後、新聞記者になることが決まっていました。その時の悲しみの深さは、どれほどであったか私たちには想像ができません。しかし、その時に、森さんのお父さんは、弟さんの葬式で1つの歌を歌って欲しいと頼んだということです。森さんは、初め涙でうまく歌えないからと拒んでいましたが、信仰を持って歌うことを決意しました。そして、その賛美は葬儀に集った人々に大きな感動を与えたのです。その時に、森さんが歌ったのは、聖歌397番「とおきくにや」です。
この歌は、 1923年の関東大震災の時に、大阪で英会話教師J.V.マーティンによって作詞作曲されました。彼の言葉が残っています。「東京大震災の9月1日(1923年)の夜、 多くの罹災者が芝白金の明治学院の運動場で夜をむかえました。九死に一生を得た人々に蚊帳とろうそくが支給されました。その夜、たまたま東京にいた私は明治学院に見舞いに来たところ、蚊帳の中で点火されたろうそくの火が丁度、暗闇の中の十字架に見えたのです。私はさっそくペンを取り、この詩を書きあげ、その後大阪に帰ってこの曲をつけました。」
マーティンは、惨事の中、キリストの十字架が、人々の心の中の灯火となり、慰めになればとの願いからこの詩を作ったのでした。この歌詞は次の通りです。
「遠き国や海の果て 何処に住む民も 見よ慰めもて 変わらざる 主の十字架は 輝けり
慰めもて ながために 慰めもて 我がために揺れ動く地に立ちて なお十字架は 輝けり
・・・・・」 
 私たちの時代は、色々なところに揺れを覚えて、不安を持っています。地震という揺れに対する不安、地球の環境問題、食糧問題、エネルギー問題、核戦争などなどです。そして、私たち自身の心の中は、いちど不安を感じたら、その動揺を止めることができないような不安定状態です。このような時代に、何が起こっても揺り動かされることがない真理を持っていると言うことは大切なことです。森さん親子にとって、それはイエス・キリストの十字架だったということですが、それはつまり、十字架に現された神の愛ということです。私たちの教会も屋根の上に十字架を掲げていますが、私はその十字架を見上げるたびに、決して変わることのない神の愛を覚えます。そしてまた、一人でも多くの町の人が、神の愛を心の灯火とし、支えとするように願うのです。

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