2009年2月27日金曜日

愚かな金持ちの話

現代は、お金で何でも買えるように錯覚している時代ですが、聖書には魂だけはお金では買えないということを明示しています。そこでまず、ルカの福音書12章にある「愚かな金持ちの話」を紹介しましょう。

「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』・・・しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

この例え話では、金持ちの考えと神のご計画とは、全く異なっており、最後にどんでん返しがあるところがミソです。金持ちが豊作だからと言って、自分の魂に「さあ、安心して、食べて・・・楽しめ」と語っていますが、財産は彼の魂の保証とはなりません。神のみが魂の命運を決定づけ、神の宣告で金持ちの魂は、滅び淵に落ちていきます。きっと皆さんには、金持ちの考えが滑稽のように感じますが、実は私たちの姿そのままです。お金が少しでもあると安心し、自分の生命は安全と錯覚するのです。しかし、魂の命を保証するのは財産ではありません。
世の中では米国発金融恐慌が起こっており、財産はバブルであり、幻想であることが明らかにされています。いくらバブルを集めても、それは魂を救えないのです。魂の救いは、ただ神の領域に属することなのです。大分前のことですが、他の町にいたときに、資産家の老婦人が教会に尋ねてきたことがありました。自分のクリスチャン叔母が高齢でなくなったのですが、その死に方が美しく、「自分もそのような最後を迎えることができたら」という願いを持っていました。自分の死ということを考えたときに、財産も、何もかも、自分を救うことをできないことをこのご婦人は、気づいていたのです。

聖書に「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネ3:16 )とあります。人の魂は、ただ神の救いの手段である「ひとり子」を通してでなければ、救済されないのです。財産の化けの皮がはがされている今この時、これを悟るべきです。

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