2009年2月27日金曜日

「炎のランナー」から・・・リデル宣教師

 すでに、北京オリンピックは終わりましたが、オリンピックを描いた「炎のランナー」という映画をご存じでしょうか。1981年アカデミー賞受賞作品です。走ることによって栄光を勝ち取り真のイギリス人になろうとするユダヤ人のエイブラハムスと、神のために走るスコットランド人宣教師リデル、実在の二人のランナーを描いた映画です。クライマックスは1924年のパリ・オリンピック、エイブラハムズは、ユダヤ人に対する偏見とアマチュアリズムの壁に立ち向かいながら100mのゴールド・メダリストに。リデルは、「神を喜ぶために走ると」宣言し、オリンピックに出場しますが、100mの競技がキリスト教の安息日である日曜日にため自分の信仰を貫いて棄権、代わりに譲り受けて出走した400mでゴールド・メダリストになるのです。
実在のエイブラハムズは、その後、弁護士、キャスター、スポーツ組織指導者という立場でイギリスのアマチュアスポーツ界に貢献し1978年に亡くなりました。リデルは、宣教師として中国に渡り、日本軍の捕虜収容所に抑留されたまま1945年に亡くなりました。
実は、このリデルを知る宣教師が仙台におり、私の友人がその宣教師からリデルの話を聞いたことがあります。私自身も、テープで証を聞きました。その宣教師は、リデルが映画で脚光を浴びたことを何よりも感謝ながら、リデルの想い出を話してくれました。リデルは中国でも宣教活動の傍ら、しばしば英国人学校で陸上競技を指導したそうです。さらに収容所では、冬の寒いときに、年若い囚人のために自分の靴を与えるという犠牲的な精神を示したそうです。より速く走るためには、それなりの信念と目的が必要となりますが、神のために走るという人の生涯は、また神のために貫かれたものであったと覚え、感激しました。
それにしても、リデルの死は、日本軍の捕虜収容所という点は複雑な思いで、日本人として申し訳がないという気持ちになります。現代日本は、かつてのようではありませんが、なお、靖国神社に参拝する政治家がいたり、なお閉鎖的な国民性を思うときに、一抹の不安も感じるのです。 

「彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。」ヘブル11:4

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