2009年2月27日金曜日

洗礼について

今年の5月27日に私たちの教会において、洗礼式がありました。洗礼には、滴礼、灌水(かんすい)礼、浸礼がありますが、私たちの教会では、原則として浸礼です。浸礼の場合、受洗者は、人々の前でキリスト信仰を告白し、次に、水槽に入り、頭も体を沈めます。身を起こした後、牧師は、受洗者の頭に手を置いて、祝福の祈りをします。そして、受洗後に、みなで会食(愛餐会)をして、受洗者を祝福します。
洗礼の意味について、ローマ人の手紙6:8に次のようにあります。「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。」
ここにあるように、第1に、洗礼は、私たちがキリストを信じた時に、キリスト共に神秘的に継ぎ合わされたことを象徴する儀式です。現代の私たちが二千年前に地上に来られたキリストに継ぎ合わされるということは不思議なことですが、これは神の奇跡の業と考えてよろしいと思います。第二に、私たちが、キリストと継ぎ合わされたことにより、キリストと共に罪支配されていた古い自分に死んだことを象徴します。キリストが十字架にかかったのは、単に二千年前の出来事ではなく、今の私たちのためと言うことになります。第三に、キリストと共に新しい命に復活したことを現しています。キリストの復活について、世の中には、色々な否定論がありますが、これは私たちの信仰の土台です。この信仰によって、私たちはキリストの復活の命と力を、現代においても、いただくことができるのです。
このように洗礼は、形だけをみると、水に浸かる儀式にすぎませんが、その内容は、神が人間を新しく生まれ変わらせる奇跡であるということができます。もし、みなさんが洗礼の場に立ち会うなら、受洗者の喜びの姿から、この事実を垣間見ることができるのではないかと思います。次の御言葉は、この奇跡的新生を見事に表しています。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」Ⅱコリント5:17

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