2009年2月27日金曜日

土器片から

いまから10年ほど前のことですが、冬に帰省して、雪の中、近くの博物館を訪れたことがありました。そこは古代秋田城があったところで、当時の遺物が発掘され、展示されていました。興味深かったことは、昔の渤海(AD9世紀頃、朝鮮北部、沿海地方に存在した国)の使いが、このような辺境の地を訪れていたこと、また貴人をもてなす唐式の門、門の両側の壁は万里の長城を作った技術が用いられていたと言うこと、あるいは水洗のトイレが復元されていたということです。文化のレベルの差を見せつけて、蝦夷(えみし)を平定していこうとした大和朝廷の政策を垣間見るようでした。
館内では、昔の鏃(やじり)や土器がありました。また、土器の破片に何か絵が描かれているものがありました。それを見ていると館員の方が近づいてきて説明してくれました。「私の家は農家で、つい最近まで、このような風習がありました。それはこのような土器片に厄災(やくさい)を書いて、外に捨てるのです。そのようにして、自分の疫病や災いから免れようとしたのです」と。この館員の方は、郷土史に興味があると言うことで、市役所を退職された後、そこで働いているのだということでした。私は、この話を聞いていて、古来より日本人が罪、汚れ、疫害に苛まれていたのだと思い知りました。それらは、どうしても拭い去ることができない悪であり、呪いでした。そこから逃れようとして、古代人は色々な呪術を考えだのでした。
また、私は、この話を聞きながら、私たちが信じているイエス・キリストの十字架を思い起こしました。彼は、私たちのために十字架で死んで捨てられ、私たちの罪を取り除いて、きよめてくれました。私たちは、この十字架についての言葉を信じていますが、事実、その言葉は、私たちの心を聖めるという確信と体験を持つのです。そして、この十字架の言葉の力は、私たちだけではなく、現代のすべての人々の心にも十分に届き、一切の罪を聖めると信じています。この聖めについて、聖書には、色々な約束がありますが、次の聖句もまた、適切に表現していると思います。
「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」イザヤ1:18

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